「海を渡った鎌倉のユリ 明治・大正期のユリ球根の栽培と輸出」展 開催しました

2020年9月8日(火)〜9月22日(火)で開催した同資料展では、私たちコソガイが1年をかけて調べた資料や、鎌倉周辺のユリの写真など約45点と、多数の関連書籍などをご紹介させていただきました。玉縄図書館での展示としては異例の動員だったそうです。図書館までわざわざいらしてくださった方、ついでにご覧下さった方、ありがとうございました!

調べた私自身、当初わかっていたのは「鎌倉の玉縄地域では、輸出用のユリ栽培をやっていたらしい…」ということのみ。その規模も、時期もわからず、「輸出って、食用?」なんて軽く考えていましたが、どうしてどうして。調査を進めるうちに謎が謎を呼び、増えていく?? 危なっかしい素人調査を玉縄図書館の佐藤館長が見事なレファレンス(本や情報を探すお手伝いをしてくれる図書館のサービス)で手助けし、次々と資料が出てきて、回答らしきものが見えてきます。

そして明治の20年ごろから大正にかけて、鎌倉でも玉縄村を中心に欧米に向けた観賞用のユリのための球根栽培が行われ、今のお金に直すと億単位の取引にも上っていたことがわかりました。主な輸出先はイギリスで、王室や教会を飾っていたらしい!?と、誇らしかったこと。その鎌倉玉縄のユリは大正時代の中心人物、角田助太郎氏から農事試験場、フラワーセンターへと続き、今年も咲き続けてくれています。

この地域のユリの物語をおもしろがって「展示をしましょうよ」と誘ってくださった玉縄図書館の皆さんには感謝です。今回は原稿を思いっきり遅れさせた挙句に、立ち上がりの数日間で「展示は育つ!」と解説文章を変えたり、資料を加えてスタッフを困らせてしまいました。見捨てず付き合ってくれてありがたい。


展示会場では、思いもかけない出会いがいくつもありました。

会期中に伊東雅江さんが、ユリ畑の向こうにユリ御殿がある絵を描き切ってくれました。本当に夢のような光景です。

ユリ協会の荒川先生の日本のユリについて紹介したパネルを展示できました。
図鑑のように深くて美しいユリについての解説。読むのが楽しい。

近所の方々が沢山お越しくださいました。「このユリ、うちの近くでしょう」とか、自宅周辺にどうしてユリが勝手に咲くかがわかって「ああ、さっぱりした!」と。おいでくださり、さっぱり感を共有できてウレシイです。

図書館がご用意くださった関連書籍コーナーも充実。知らなかった「ユリの絵本」や角田所左衛門氏の本、フラワーセンターのパンフレットなど多数が置かれ、手にとって読まれている方も大勢。

ユリ畑(沖永良部島)の写真を見て「私、この島でユリ作業をしました」という方も現れました。「妹が沖永良部島に嫁ぎ、ユリ栽培をしていました。友人家族が今でも作っていますよ」という方も。沖永良部島と鎌倉はユリ繋がり。遠いけど近い。

球根を送ってくださったり、お持ちくださる方もいました。
ありがとうございます。大きくてすべすべの球根。思わず食べたらおいしそう、と思っちゃうほど。宝石みたいです。ここから花を咲かせます。

ユリの育種家やユリの専門家の方々もお越しくださいました。
植物の素人の私はちょっと緊張しちゃったけど、地域の歴史展示を楽しんでいただけて、ユリの植え方、育て方までご指導くださり感激です。

1885年発行のイギリス画家Alfred Parsonsの旅行記「Notes in Japan」の挿絵「a field of lilies Ofuna near Kamakura」をご紹介くださる方も。
あああ、ナミダが出ました。あれだけ探して見つからなかったユリ畑の写真に代わって、スケッチがありました。 確かにここ大船にはユリ畑があったのです。

誰も知らなかった「地域の歴史」の一遍を探り、お伝えし、ユリを通して多くの方と物語を共有し、感想もお寄せいただき、いろいろ学べました。ほんとうに、ほんとうに楽しい展示となりました。

ただ、鎌倉市立玉縄小学校の子どもたちが見に来てくれたけど、伝わりにくかったことは、残念。大人向けだったかな~。
鎌倉のユリに縁が深い小学校は3年後には150周年だそうです。3年後には小学校にユリの花が咲いて、小学生向けの展示や冊子が形になっていると良いな。

何はともあれ、資料展は無事終了。次は、いただいたユリ球根の植え付けのご報告をしたいです♪ みなさま、ありがとうございました。


展示をご覧になっていない方は、鎌倉野菜物語の「明治大正の海を渡った鎌倉のユリの話」よろしければお読みくださいね。

コソガイ 入江麻理子

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