鎌倉のドクターによる支援

〜被災地で医療活動をされた酒井先生、泰川先生

Dr支援1TVでは毎日のように被災地の様子が流されています。恐ろしい津波や変わり果てたまちの風景、避難所で暮らす人々、津波をかぶった自宅に帰って整理をする人。被災者の様子を見て、何か支えたいのに!と、わたしたちが歯がゆい思いをかみしめている間に、鎌倉から2人のドクターがいち早く被災地に行かれて医療支援活動をされていたことを知りました。「ドクターGON診療所」の泰川先生、「さかい内科・胃腸科クリニック」の酒井先生です。

先日、泰川先生に偶然市役所でお会いしました。「気仙沼で2人の看護師と一緒に1週間医療活動をして、昨日わたしだけ帰って来ました。2日後には交代の看護師とヘリで気仙沼に戻るのです。市役所に来たのはヘリポートの手配のためなんです」とのこと。驚きました。開業してらっしゃるドクターが、鎌倉から被災地に行って医療活動をされていたとは!

Dr支援3先生の行かれた気仙沼は地震と津波の被害が大きかった市の一つです。拠点の避難所は家族や家を失った人たち300人が暮らす大所帯。高齢者を中心に体調不良者は多く、衛生事情も悪かったと聞きます。先生の行かれた間は食品はかろうじてあっても調理ができない状態で、温かいものは口にできなかったとうかがいました。しかし徐々に支援物資が届きだし、命をつなぐために必要な水、食品や紙製品類は行きわたるようになっていったのだそうです。
「ただ、こどもたちもいつまた余震が起こるかわからない中、落ち着かないのか室内でべたっとすわって携帯ゲームをするばかり。外遊びの姿は見られませんでした。高齢者の気持ちの落ち込みも大きく、気にかかります」と教えてくださいました。

Dr支援4コソガイとしても「何かできることを…」と思っていた矢先でもあり、急遽先生に支援物資をお持ちいただくことになりました。とはいえ、ヘリは小さいので多くを送ることはできません。そこで「こども」向けに、落ち着かない中でも使える漫画、カードやボードゲーム、お絵かき道具などと高齢者とこどもをつなげる将棋、折り紙などの遊び道具を集めました。もちろんメッセージも書き、先生に託しました。鎌倉から被災地に、そしてまた鎌倉に戻られた先生からは「避難所の状態も少し良くなってきて、外で遊ぶこどもの姿もちらほら見かけました」とご報告いただきました。先生、お疲れさまでした。本当にありがとうございました。

Dr支援2もうお一人の酒井先生は南三陸町に行かれ、訪問診療をされたようです。先生のご活動は銀の鈴ギャラリーの東日本大震災 被災者支援展で報告され、この展示でわたしたちも先生の支援を知りました。現地では被災しながらも寝たきりで自宅で暮らす高齢者も少なくないのだそうで、先生は様変わりした土地でお宅を探し出し、診療されたのだそうです。大半の家は津波による損壊があり、さらに家中の物が津波でさらわれたり、濡れて使えないまま散らばっているのだそうです。「まだ電気もガスも水道も復旧してなかったんです。被災者は物資を入れる袋もなく、ボロボロになったスーパーの袋を何度も使いまわしていました」と酒井先生はおっしゃったそうです。

そんな先生の言葉を受けて、銀の鈴社さんでは今、被災地向けの手作り袋を集めてらっしゃいます。「元気のでる詩」のカードと一緒に現地のグループを通して被災者に届けるのだそうです。

食糧や水などが届き、先生たちのような医療関係者の活躍で「命をながらえる支援」は行き届きつつあるようです。ありがたいことです。それでもまちの片づけなどの「手」は足りないと聞きます。そろそろ外からの「復興のための支援、心をつなぐ支援」が必要な段階に入るのかもしれません。しかし支援者を受け入れる自治体は多くはありません。安全な受け入れ先の確保が難しいと言う事情も耳にしています。わたしたちは鎌倉で被災地に気持ちを送りながら募金などのささやかな活動を続け、どんな継続的、直接的支援ができるかを模索する、もどかしい時間をもうしばらく過ごすことになりそうです。

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投稿者:CanCan
泰川先生の写真はドクターゴン鎌倉診療所より
酒井先生の写真は銀の鈴ギャラリーでの展示より

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